マルチメディア

パソコンとはマルチメディアです。 汎用であるということは、本質的にマルチメディアであるということに、 みんなが気付いたので、 マルチメディアという言葉をむやみに使わなくなってしまった。

動画は Windows Media Player を使って見るのはほぼ確定として、 実は音楽を聴くにはいろいろと選択肢がありえる。 今は使い慣れてるという理由で Winamp を使っている。 Winamp の利点はなんだろう、まず軽い、そして歌詞が表示できる。 これくらいかな。まぁ、使い慣れてるというのは最大の利点なのだが。

それで、MD-Port に付属していた MP3 BeatJam を使うのはどうかと思うわけだ。 見た目的には悪くない。しかも、エンコードができるのだ。 (ついでに言えばCDも焼ける) 使い勝手がいいかどうかは別として Fraunhofer 内蔵なのはかなり良い。 ただ、吸出しは CD2WAV32 でやりたいと思うとエンコードだけ BeatJam でやるのは面倒なので却下なのだ。 あと、Winamp よりも重い。

さらに、音楽も Windows Media Player で聞くという手もある。 これは Simple is best 的には究極形だ。 欠点としては BeatJam よりさらに重い。

世の中には Real Player というのもある。 これは非常に重くて起動するのも一苦労だ。 しかも、起動するだけでメモリを35メガくらい使うという迷惑ソフトだ。 しかし、Real 形式のファイルはこれでなくては再生できないので、使わざるを得ない。

謎の衣装に感動。

Mステにはタンポポと中澤さんが登場。 テレ東以外で中澤さんが出るのは初めてじゃないのか? さすがMステ。 しかも、今日のタンポポはニュー衣装。 矢口の髪の毛もニュー髪の毛(かわいー)。 いままでずっとPVの衣装だったのに。さすがMステ。

しかも、スペシャルメドレーやん。 乙パスのあと姉さんで、 タンポポもコンサート風早着替えで出てきて、後ろで踊ってるし。 なんか、クレイラの魔力を強める儀式を髣髴させる感じ。

それで、MD-Port はそれなりに重い気がする。 どうやら3秒に一度くらいデータ転送してるように見えるが、 そのたびにCPUの使用率が15%を超える。 ちなみに、それにあわせるように MD-Port のライトが点滅する。 計算するとパワー不足になるのか?

いつか天使になれる

「いつか」っていうのは、いつなんでしょうね? いつかって言ってるのだから、すくなくとも有限時間内にはやってくるのでしょう。 そこで、今日からその「いつか」までの時間を x と置きましょう。

ここで、ある自然数 N があったとき、この N が どんなに大きな自然だったとしても、x > N が成り立つような x が存在する。 つまりは x = N + 1。

ここでいえるのは、人間という非常に矮小な存在から見れば、 有限というのは無限に匹敵するくらいの大きさをもっているということ。 すくなくとも、笑っていいともに遅刻してくる片桐はいりの存在感に ひけを取ることはないのだ。

なんか、突然、MD-Port を買ってしまった。 なにやってんだが。 USBケーブルをしっかり差し込まないと認識されなくて少しあせる。 バルクで買ったAWE64よりはいい音だ(笑)。 無音時にノイズも無いし。 でも、聞くのはMP3なんだけどね。

フレッツ・ISDN

常時IP接続は「フレッツ・アイ」という名前だったが、 このたび「フレッツ・ISDN」に変更された。 理由は大方の予想通り、類似の名前の他企業と混同しないようにとのこと。

何度も言うけど、やはり「ハロモニ」は良い。 そして「真夏の光線」も良い。 真夏の光線は曲だけ聞いても、別にそんなにでもないですわって感じだが、 テレビで見ると良い感じがするのだ。いや、するのだ。

いや、しかし、石炭はとっくに積み終わったのに元気なしって感じ。 そもそも、FF9をやったにもかかわらず、まがりなりのHPすら作ってない。

で、dream の8月9日に発売される新曲「reality」は 編曲が五十嵐充らしい。

普通の日記なり「ニル アドミラリイ」

暑い日々だ。まるで夏のようだ。 水曜日と金曜日の授業は早めに切り上げられてしまったし、 木曜日は龍咲海の日なので、つまりは今日が最後の授業だった。

べつに最後だからというわけではないが、 今日は授業に茶がでた。 もちろん茶菓子とかが出たわけではなくて、 中身は単に爽健美茶だが。 でも、こういうのは初めてかも。

それでもやはり、あの停電以来、セカンドマシンの調子がおかしい気がする。 2、3日に一度くらいはハングするし、 そんなこんなでファイルシステムがお亡くなりになったので、再インストール。

人とコンピュータの微妙な関係。

コンピュータがどんなにすごい性能を持っていても、 人間がそれを有効につかえなければ評価されない可能性が高いのだ。

例えば、純粋な量子コンピュータを考えてみよう。 彼は指数オーダの計算量の問題を多項式時間で解くことができる。 しかも、計算を実行してもエネルギーを消費しないのだ。 ただ、残念なことに計算結果を取り出すことができない。

それは、コンピュータと人との関わりが重要であることを端的にあらわしている。 そう、昔からコンピュータと人はさまざまな方法で情報をやり取りしてきた。 一般的に人のほうが融通が利くので、コンピュータの出力を人が理解するメソッドは 柔軟な対処が可能だ。

問題になるのは、人がコンピュータに何かを伝えるときだ。 キーボードをたたいてコマンドを入力したり、 あるいは、マウスで画面上のボタンをクリックしたりする。 そう、いわゆるユーザ・インターフェイスだ。

ある気の短い人は、 典型的なユーザ・インターフェイスに触れてみてこう言うかもしれない、 「コンピュータは人にやさしくない」。 しかし、本当はコンピュータはとても人にやさしいのだ。 だからこそ、ユーザ・インターフェイスのことを友愛と呼ぶのだ。

カエルおとし

インターネットの普及により、 人は簡単に世界が広いということを実感できるようになってしまった。 これは、密かに深刻な事態である。 ことわざに「井の中の蛙」というのがあるが、 幸せの本質とは、まさにここでいう蛙のことなのだ。 だから人は、懸命になって自分の井戸を見つけようとするのだ。

HPには大きく分けて2種類ある。 Hewlett-Packard とホームページだ。 冗談はさておき、ここではホームページについていっているのだが、 それは、お金をもらって作るHPとお金をもらわずに作るHPだ。 ソフトウェアでいうなら、商用ソフトとフリーソフトみたいな感じだ。 (これは、論理的に正しくない例えばの一例にもなっている。)

お金がからむ場合はお金がすべてを解決するは自明なので、 ここではお金をもらわずに作るHPを考える。 するとやはり、人間がひとりでできることには限りがあって、 たくさんの人が製作に携わったほうが内容の充実したHPが 短期間でできる可能性が高いのだ。 もちろん、その分だけ個人的理想や一人あたりの作業効率は犠牲になるかもしれない。 それは Eric Raymond が言うところの Bazaar に近づいてしまうのだろう。

結局のところ何が言いたいかというと、 客観的には Bazaar はすばらしいとしても、 自分がやるなら Cathedral が良いと思ってしまうということだ。

トリプルクロスカウンターって何?

一言で言うなら、元気なし。

人はキーボードで何を入力するのだろう。 多くの人は、 頭の中にある自分の表現したいことを文章としてキーボードをたたくのだ。 そう、しゃべったり書いたりするのと同じだ。 もちろん、例外もある。 紙に書いてあるものをコンピュータに入力する作業だ。 これは本質的ではないので、とりあえずは触れないことにしよう。

ところで、世の中にはタイピング練習ソフトなるものがある。 これはたいてい画面に表示された文字を速く正確に入力させるというものだ。 ここで問題なのはキーボードをたたくことよりも、 画面の文字を読むほうが大変だと言うことだ。

もちろん、ただ文章を読むだけなら簡単である。 しかし、ここではその文章をキーボードで入力できる形式で、 つまりは音節で読み取るか、読み取った文章を音節に分解しなくてはいけないのだ。 これはかなり大変だ。 なぜなら、普通、人は文章を読むときにその音節は意識しないからだ。 文字もしくは単語全体をひとつの画像として理解するのだ。 これが効率的に実行できるのが表意文字の最大の利点でもある。

というわけで、タイピング練習を高速でするには、 高速音節分解を実行しなくてはならない。 もちろん、繰り返し練習することによってこの能力は高まるが、 そうして得られた能力は実際には役に立たないというのが重要だ。 なぜなら、普通は文章を作るときには音を使うからだ。 言い換えれば、文字もしくは単語全体をひとつの画像として書いたりはしないのだ。 もしかしたら、世の中にはそういう人もいるかもしれないが・・・

例えば

モーニング娘。の曲の中で一番好きな曲のひとつに「例えば」がある。 この曲は言わずと知れた(嘘)「抱いて HOLD ON ME!」のカップリングだ。 よく聞いてみると、そんなに良い曲でもないのだが、 かといって悪くもないといった感じだ。 まぁ、モーニング娘。の曲はそういうのばかりだが。 あるいは、アンチテーゼ愛好家かもしれない。

ところで、普通「例えば」とか言うのは、 「X が A なのは、例えば Y が B みたいなものだ」といった感じで使う。 つまり、論理的に意味が無いのだ。 「命題 P が真なのは、例えば命題 Q が真なのと同じだ」とは言わないのだ。

一方、論理的に正しい「例えば」の使い方は、 「X は A である。例えば x は a である」というやつだ。 つまりはインスタンスを示すのだ。 ここではもちろん x は X の要素で a は A の要素だ。

モグネット高田(謎)

停電があってからセカンドマシンの調子がおかしい気がする。 てか、なんでも停電のせいにするなって感じかも。

ちょっと前に GLAY の TAKURO プロデュースで「miju」って人がいたけど、 あまり売れんかったって言うか、もういないみたい。 そのときの曲(多分1曲しかない)が「COUPLES」なんだけど、 個人的には結構好き。イントロも良いし、Aメロも良い。